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「原因記憶は【消去】した。発作はすぐに収まったから、警察に事情を話して家まで送ってもらった」

「警察?」

坂島が振り返る。

「言わなかったっけ?患者が店内で発作を起して」

「それは聞いた」

「・・・俺が何かしたと思われて警察呼ばれた」

幸は思い出しながら、不満そうに答えた。あのときは必死だったが、今思い返すと腹立たしい。

「それで、ずっと警察がそばにいたの?」

坂島は笑うかと思ったが、真剣にそう問われて幸はうなずいた。

「パトカーの中で【消した】」

「・・・それよ」

「?」

坂島は短くため息をついた。

「患者の発作がおさまらないってアナタ電話してきたでしょ?原因は警察よ」

カツカツと音を立てながら診察室に姿を消した坂島は、すぐに戻って1冊のファイルを幸に差し出した。担当医から送られてきた石見の資料だ。

「事件の当日、彼女は現場で呆然と座り込んでいたのを警察と救急に保護された。そのときのことが少し書いてあるでしょ・・・よく似てたのよ、状況が今日と」

「・・・そうか」

気がつかなかった。

「俺が」

「言っとくけど、幸」

もっと早く【見て】いれば、という幸の呟きを坂島が遮った。

「責任は私にあるってわかってるでしょうね」

「・・・」

「アナタ、記憶を【見る】だけ見て『やっぱり止めとこう』って出来ないんでしょ?」

坂島の言うとおりだ。

幸は石見に一つだけ嘘をついた。

記憶は、見える。

幸は記憶を【見る】ことによって【壊す】のだ。【消す】というのは取り除くということではなく、実際はクラッシュするというのに近い。

どこにどんな記憶があるのか、その【タグ】を見ているだけでは壊れない。中身を開けてはじめて記憶の詳細を知ることになり、そのとき同時にその記憶は壊される。

幸が知った時には既に遅いのだ。いつも。

「なら、幸の後悔は無駄よ・・・必要のないところで悩まないで」

細い手を伸ばして、坂島は幸からファイルを奪い取った。

「わかってる」

自分たちの仕事は、いちいち後悔していたら続けられない。

そして、この世には ―少なくとも今は― 幸に代われる人間はいない。

幸は右腕のバングルを握った。暖かくも冷たくもない樹脂の手ごたえは、感覚の麻痺した皮膚に似ている。

自分がやるしかないのだ。

「・・・お疲れ様。もう寝なさい」

前髪の間から見上げた坂島は、幸が飲み干したペットボトルを片手に診療室へ戻るところだった。


[石見佑香 END]









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クリニックのガラスのドアには内側からロールスクリーンが引かれていた。
時刻は22時すぎ。

「・・・そらそうか」

幸は立ち尽くしたまま、ぼんやりと呟いた。

せめて電話で報告しておこうと、その場で携帯を取り出した。

「あれ?」

真っ黒な画面。

そういえば、石見を片手に抱えたまま坂島と話したその後、通話を切った記憶が無い。

会話の途中で思考に迷い込み、そのまま【消して】、その後は脱力感を引きずりながら淡々と事後処理に突入していた。
その間ずっと放り出していた携帯、むしろポケットに入っていたことが奇跡かもしれない。
バッテリーは見事に使い尽くされて、起動することも出来なかった。

「くっそ・・・」

さっさと報告して、この【仕事】を終わらせてしまいたかった。

【消す】ときに、少しだけ垣間見えた石見の記憶がまだ瞼の裏に漂っている。
赤いぐちゃぐちゃとした最悪の映像。
彼女が1年間も抱え続けた体験。

幸は頭を強く左右に振った。

石見と同じ仕草で。


耐えられなかったのは彼女ではなく、自分だ。

苦しむ彼女を見守れなかった。

これでよく再審査などと言えたものだ・・・

そのとき、クリニックのガラスドアを目隠ししていたスクリーンがスッと持ち上がり、その向こうにすらりとした女の姿が現れた。

「幸、なにやってるの?」

「・・・みちる」

「ボール持ったまま音信不通になるランニングバックなんて最悪ね」

坂島は悪態をつきながら幸を中へ招き入れた。
こういうときの坂島は口調こそトゲトゲしいものの、立ち振る舞いが妙に柔らかい。

通話の途中で返事がなくなり、そのまま何時間も連絡が取れないというのは確かに最悪だ。

待合室のソファにドッカリと腰を下ろすと、急に身体が重くなる。

坂島が差し出す水のペットボトルを受け取ると、一気に半分空にした。
暖かいお茶などは間違っても出てこないのだが、幸にはこのくらいの距離感が返ってありがたい。

「・・・患者は?」

坂島は壁のカレンダーを見ながら尋ねる。
日付が知りたいわけではない。そのほうが幸が話しやすいと思ったのだろう。

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少し収まりかけていた石見は、警察に保護されてパトカーに乗せられると再び苦しみだした。

「石見さん!」

幸は隣に座り、蒼白な石見の顔を覗き込んだ。汗とも涙ともつかない透明なしずくが頬を伝っている。痛々しい。

「だ、大丈夫なんですか・・・?」

幸のバングルが本物だとわかった警官はすっかり下手になっていたが、パニック状態の女性に腰が引けている様子だ。

「・・・わからない」

幸はポケットから携帯を取り出すと、短縮ダイアルで坂島を呼び出した。

「患者の発作がおさまらない」

『きっかけは?』

突然の電話に坂島は驚きもせず、最小限に短縮された幸の言葉を性格に読みとった。

「コートだ。床に落ちたコート」

『黒いコート、ね?なるほど・・・診断書には数分で収まると書いてあるけど』

「もうその5倍は経ってる」

幸は顔を上げてあたりを見回した。石見の発作を悪化させている何かがあるはずだ。

『幸』

坂島の次の台詞は、聞かなくてもわかる。

『【消さない】つもりなの?』

「・・・」

正論だ。根本的な治療の方法を幸は持っている。

そのために会いに来たのだ。

「・・・再審査を頼むつもりだった」

『理由は?』

「わかってんだろ!」

幸は耐えられず、感情的な声を出した。言いながら既に後悔していたが、それも遅い。

能力を持ちながら、それを使いたがらない幸の性質を一番よく知っているのは確かに坂島だ。しかし、彼女は立場上それを認めるわけにはいかない。

「・・・俺が悪い」

『責任は私にあるのよ、幸』

「わかってる」

石見はこの試練を乗り越えられるかもしれないと、さっき感じた。

消してしまえば、彼女は全てを忘れ、苦しみからは解放されるだろう。

しかし、それでは彼女のこの1年は何だったのか。

それは前に進んだことになるのだろうか。

自分は彼女から、何か大きなものを奪ってしまうのではないか。



「助けて・・・」



全身を強張らせた石身の力ない呟き。



『幸、どうしたの?幸!』











助けて・・・



『大丈夫』



嘘、誰?



『・・・あなたはとても強い。大丈夫です』



嫌だ、我慢したくない・・・助けて・・・



『大丈夫』



本当?



『大丈夫』



怖い・・・



「石見さん、目をしっかり閉じていてください」



何?



佑香は、目の奥がゆるゆると暖かくなるのをぼんやりと感じた。

次の瞬間、暗かった目の前がパチリと一瞬光った。稲妻みたいだ、と思った。



稲妻、そうだ。小学校の林間学校で、すごい稲妻を見たっけ。

山をずっと登るとログハウスがいくつもあって・・・三角形の屋根裏部屋で友達とパジャマでおしゃべりをしてたら

真っ青の電気が空を走って・・・ガラスの小さな窓の向こうに、まるで血管みたいな模様を一瞬描いて。

起きているのがバレたら怒られるのに、どこの部屋でも一斉にキャーって悲鳴をあげた。

怖かったけどとても綺麗だった。

そんなこと、ずっと忘れてた・・・






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マックの表にはパトカーが1台止まっていた。ツイている。
幸は警官が口を開くより早く話しかけた。時間が惜しい。

「車に乗せてください。後部座席、空いてますよね?」

「は!?」

35歳くらいに見える眼鏡の警察官は、取り押さえられたまま切り出した幸の言葉に眉をしかめた。

「中でパニックになってる女の子を保護して、パトカーに収容してください。今すぐに」

「何を・・・」

「特殊能力第7種、認定番号5番、斉藤幸。この人が掴んでる右手にIDがあります」

長袖はこういうときに不便だ。

反応の遅い警官に苛立ちながら、幸は声を荒げた。

「早く!」

大人しかった幸の怒鳴り声に、店員がビクリと手を緩める。
そのすきに抜け出した幸は、警官の目の前にバングルを一瞬かざし、店内に走り戻った。






______________________________



濡れている。

顔が、膝が、スカートが足にまとわりついてペッタリとはりつく。

嫌な匂い。

生ぬるい、生臭い、鉄っぽい、血の匂い。

血!

でも赤くない・・・このベッタリしたものは何?

気持悪い

気持悪い

 足が動かない



髪の毛?



「いや・・・っ!」



人が沢山集まってきて、でも誰も助けてくれない。誰か!誰かこれをなんとかして!



「いやぁ!」



怖い



サイレンの音・・・近づいて、止まって・・・誰かが腕を掴む。



無理矢理毛布でくるまれる・・・やめて!気持悪い!








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幸が石見の異変に気がついたその瞬間、夕刻のファーストフード店を悲鳴が貫いた。

今まで涙を流しながら自らの言葉で語っていた石見の目は、今、限界まで見開かれ、幸ではない何かを見つめている。

「石見さん!」

発作だ、一体何が・・・

幸は石見の視線をたどり、その先で、客のコートとマフラーが椅子から床に落ちているのを発見した。

石見の発作が起きる引き金、『地面に置かれた黒っぽい塊』だ。

「石見さん、大丈夫、あれはコートです!」

「いやぁ!!」

目を固く閉じ、頭を抱え込むようにしている石見。

きっと彼女の瞼の裏には恐ろしい『あの記憶』・・・飛び降り自殺の現場の様子が映っているに違いなかった。

「石見さん、怖くありません、大丈夫」

押し寄せる恐怖から逃れる方法は、彼女が現実を取り戻すことしかない。

幸は身を捩る石見を抱え込みながら、何度もゆっくりと言い聞かせた。

「大丈夫」

記憶に現実を乗っ取られ、石見は懸命にもがいているはずだった。

暴走する恐怖心を理性で押さえつけるのは並大抵のことではない。
幸にはその感覚が良くわかった。
なかなか醒めない悪夢は、水面が見えないほど深い海底に似ている。

冷たくて、暗くて、苦しくて・・・そして、最初から最後まで、完全無比な孤独。

石見が頭を左右に振っている。まとわり付く記憶を振り払うように。

幸はその仕草にゾッとした。



今ここで、【消す】べきなのか。



さっき、石見の話を聞きながら、幸はこの件を保留するよう申請しようとほぼ決めていた。

石見はもう少しでこの経験を乗り越えられるのではないかと思ったからだ。

自分が【消して】しまうにはあまりに



あまりに彼女の努力と苦しみが尊いと、そう感じた。



「どうしたんですか!」

石見を抱え込むようにしている幸に、後ろから店員が声をかける。

我に返った幸は、状況を説明しようとしたが、その前に店員2名に手を抑えこまれてしまった。

「あの・・・」

「ちょっと一緒に来てください。警察を呼んでます」

幸は店員の視線で全てを理解した。石見はどう見ても女子高生で、自分は職業不明の男。
女の子が悲鳴を上げたら勘違いされても仕方がない。

店員2人に引き剥がされながら石見に目をやると、彼女はまだ錯乱状態だった。
人が集まってきたことが彼女を刺激しているのだろう。
警察が来ているならむしろ保護してもらった方が早くおさまるかもしれなかった。





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