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急な仕事だ。

いくつか入っていた予定を全て後回しにして、幸は関西地区にある、国内大手製薬メーカーの研究所にいた。

「該当者は3名。いずれも日本人。博士号取得後、アメリカで数年間ポスドクフェローをした後、当社へ採用されています」

担当者はこれ以上は不可能と思われるほど深刻な顔で幸を地下室に連れて行き、何枚かの資料を見せた。

「3名の間に関連はあるんですか?」

「採用時期も研究部門もバラバラです。もちろん、米国での所属機関も異なりますが・・・ただ以前に面識があったかどうかは我々では把握しかねます」

それはそうだろう。大きく見れば同じ自然科学者のくくりだ。
どこでどう知り合ってもおかしくはないし、その痕跡が必ずしも見えるところに物的証拠として残るとは限らない。

人間のつながりというものはそういうものだ。

「・・・そもそもスパイの疑いが浮上したきっかけは、内部告発です」

浅井と名乗った中年の担当者は、苦々しげに説明を続ける。

「彼らの研究チームから、匿名のメールが人事部に寄せられました。曰く『休日に出勤して、データを持ち出した可能性がある』と。お恥ずかしい話です」

「そうでもないですよ」

何がしかの問題が告発されて明るみに出るというのは、ある意味浄化機能を備えた組織であるととることもできる。

少なくとも、よからぬ事態を見て見ぬ振りで悪化させてしまうよりはずっとマシだ。
虫歯は歯医者に行かなければ治らない。

幸は3枚の写真を見比べた。

製薬メーカーからの依頼は警察を通してもたらされたもので、幸の通常の業務とは少し異なる。坂島の権限を、厳密には外れることになるイレギュラーな仕事だ。

【消去】の対象者3名には現在産業スパイの容疑がかかっている。

開発中の医薬品は、現在地球上に数億人の感染者と年間数百万人の死者をもたらしてる感染症のワクチンであり、その情報流出は国益を著しく損なうと判断された。

疑惑の3名から当該記憶およびその周辺記憶を読み取り、破壊する。

もちろん、これはマトモな活動ではない。

後日、この浅井の関連記憶を【消去】せよと当局からお達しが来る確立は、幸の読みでは50%だ。










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テーマ:自作連載小説 - ジャンル:小説・文学

こんにちは、ソノシオです。
連載中の「マージナル」はいくつかのシリーズにしたいと思っていて
タイトルごとにひとまとまりのお話になる予定です。
「石見佑香」の話はこれで一区切り、少しおいてまた再開します。
まだ出てきただけの人もいるし、出てきてない人もいるし・・・

お察しのとおり私は全くの素人ですが
こうしてブログで公開しているからには
とにかく途中で連載を放棄するのだけは嫌だと思ってます。
読書感想文でもレポートでも何でもそうですが、最後の1ページが一番しんどい。
でも、なんとかして最後まで書いて提出することが肝心なんじゃないかと思うのです。

そういうわけで、止まらずに終わらせることが目標です。
(滞ることはあると思いますが)
「話が面白い」とかは第二段階の目標ということで・・







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「原因記憶は【消去】した。発作はすぐに収まったから、警察に事情を話して家まで送ってもらった」

「警察?」

坂島が振り返る。

「言わなかったっけ?患者が店内で発作を起して」

「それは聞いた」

「・・・俺が何かしたと思われて警察呼ばれた」

幸は思い出しながら、不満そうに答えた。あのときは必死だったが、今思い返すと腹立たしい。

「それで、ずっと警察がそばにいたの?」

坂島は笑うかと思ったが、真剣にそう問われて幸はうなずいた。

「パトカーの中で【消した】」

「・・・それよ」

「?」

坂島は短くため息をついた。

「患者の発作がおさまらないってアナタ電話してきたでしょ?原因は警察よ」

カツカツと音を立てながら診察室に姿を消した坂島は、すぐに戻って1冊のファイルを幸に差し出した。担当医から送られてきた石見の資料だ。

「事件の当日、彼女は現場で呆然と座り込んでいたのを警察と救急に保護された。そのときのことが少し書いてあるでしょ・・・よく似てたのよ、状況が今日と」

「・・・そうか」

気がつかなかった。

「俺が」

「言っとくけど、幸」

もっと早く【見て】いれば、という幸の呟きを坂島が遮った。

「責任は私にあるってわかってるでしょうね」

「・・・」

「アナタ、記憶を【見る】だけ見て『やっぱり止めとこう』って出来ないんでしょ?」

坂島の言うとおりだ。

幸は石見に一つだけ嘘をついた。

記憶は、見える。

幸は記憶を【見る】ことによって【壊す】のだ。【消す】というのは取り除くということではなく、実際はクラッシュするというのに近い。

どこにどんな記憶があるのか、その【タグ】を見ているだけでは壊れない。中身を開けてはじめて記憶の詳細を知ることになり、そのとき同時にその記憶は壊される。

幸が知った時には既に遅いのだ。いつも。

「なら、幸の後悔は無駄よ・・・必要のないところで悩まないで」

細い手を伸ばして、坂島は幸からファイルを奪い取った。

「わかってる」

自分たちの仕事は、いちいち後悔していたら続けられない。

そして、この世には ―少なくとも今は― 幸に代われる人間はいない。

幸は右腕のバングルを握った。暖かくも冷たくもない樹脂の手ごたえは、感覚の麻痺した皮膚に似ている。

自分がやるしかないのだ。

「・・・お疲れ様。もう寝なさい」

前髪の間から見上げた坂島は、幸が飲み干したペットボトルを片手に診療室へ戻るところだった。


[石見佑香 END]









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クリニックのガラスのドアには内側からロールスクリーンが引かれていた。
時刻は22時すぎ。

「・・・そらそうか」

幸は立ち尽くしたまま、ぼんやりと呟いた。

せめて電話で報告しておこうと、その場で携帯を取り出した。

「あれ?」

真っ黒な画面。

そういえば、石見を片手に抱えたまま坂島と話したその後、通話を切った記憶が無い。

会話の途中で思考に迷い込み、そのまま【消して】、その後は脱力感を引きずりながら淡々と事後処理に突入していた。
その間ずっと放り出していた携帯、むしろポケットに入っていたことが奇跡かもしれない。
バッテリーは見事に使い尽くされて、起動することも出来なかった。

「くっそ・・・」

さっさと報告して、この【仕事】を終わらせてしまいたかった。

【消す】ときに、少しだけ垣間見えた石見の記憶がまだ瞼の裏に漂っている。
赤いぐちゃぐちゃとした最悪の映像。
彼女が1年間も抱え続けた体験。

幸は頭を強く左右に振った。

石見と同じ仕草で。


耐えられなかったのは彼女ではなく、自分だ。

苦しむ彼女を見守れなかった。

これでよく再審査などと言えたものだ・・・

そのとき、クリニックのガラスドアを目隠ししていたスクリーンがスッと持ち上がり、その向こうにすらりとした女の姿が現れた。

「幸、なにやってるの?」

「・・・みちる」

「ボール持ったまま音信不通になるランニングバックなんて最悪ね」

坂島は悪態をつきながら幸を中へ招き入れた。
こういうときの坂島は口調こそトゲトゲしいものの、立ち振る舞いが妙に柔らかい。

通話の途中で返事がなくなり、そのまま何時間も連絡が取れないというのは確かに最悪だ。

待合室のソファにドッカリと腰を下ろすと、急に身体が重くなる。

坂島が差し出す水のペットボトルを受け取ると、一気に半分空にした。
暖かいお茶などは間違っても出てこないのだが、幸にはこのくらいの距離感が返ってありがたい。

「・・・患者は?」

坂島は壁のカレンダーを見ながら尋ねる。
日付が知りたいわけではない。そのほうが幸が話しやすいと思ったのだろう。

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少し収まりかけていた石見は、警察に保護されてパトカーに乗せられると再び苦しみだした。

「石見さん!」

幸は隣に座り、蒼白な石見の顔を覗き込んだ。汗とも涙ともつかない透明なしずくが頬を伝っている。痛々しい。

「だ、大丈夫なんですか・・・?」

幸のバングルが本物だとわかった警官はすっかり下手になっていたが、パニック状態の女性に腰が引けている様子だ。

「・・・わからない」

幸はポケットから携帯を取り出すと、短縮ダイアルで坂島を呼び出した。

「患者の発作がおさまらない」

『きっかけは?』

突然の電話に坂島は驚きもせず、最小限に短縮された幸の言葉を性格に読みとった。

「コートだ。床に落ちたコート」

『黒いコート、ね?なるほど・・・診断書には数分で収まると書いてあるけど』

「もうその5倍は経ってる」

幸は顔を上げてあたりを見回した。石見の発作を悪化させている何かがあるはずだ。

『幸』

坂島の次の台詞は、聞かなくてもわかる。

『【消さない】つもりなの?』

「・・・」

正論だ。根本的な治療の方法を幸は持っている。

そのために会いに来たのだ。

「・・・再審査を頼むつもりだった」

『理由は?』

「わかってんだろ!」

幸は耐えられず、感情的な声を出した。言いながら既に後悔していたが、それも遅い。

能力を持ちながら、それを使いたがらない幸の性質を一番よく知っているのは確かに坂島だ。しかし、彼女は立場上それを認めるわけにはいかない。

「・・・俺が悪い」

『責任は私にあるのよ、幸』

「わかってる」

石見はこの試練を乗り越えられるかもしれないと、さっき感じた。

消してしまえば、彼女は全てを忘れ、苦しみからは解放されるだろう。

しかし、それでは彼女のこの1年は何だったのか。

それは前に進んだことになるのだろうか。

自分は彼女から、何か大きなものを奪ってしまうのではないか。



「助けて・・・」



全身を強張らせた石身の力ない呟き。



『幸、どうしたの?幸!』











助けて・・・



『大丈夫』



嘘、誰?



『・・・あなたはとても強い。大丈夫です』



嫌だ、我慢したくない・・・助けて・・・



『大丈夫』



本当?



『大丈夫』



怖い・・・



「石見さん、目をしっかり閉じていてください」



何?



佑香は、目の奥がゆるゆると暖かくなるのをぼんやりと感じた。

次の瞬間、暗かった目の前がパチリと一瞬光った。稲妻みたいだ、と思った。



稲妻、そうだ。小学校の林間学校で、すごい稲妻を見たっけ。

山をずっと登るとログハウスがいくつもあって・・・三角形の屋根裏部屋で友達とパジャマでおしゃべりをしてたら

真っ青の電気が空を走って・・・ガラスの小さな窓の向こうに、まるで血管みたいな模様を一瞬描いて。

起きているのがバレたら怒られるのに、どこの部屋でも一斉にキャーって悲鳴をあげた。

怖かったけどとても綺麗だった。

そんなこと、ずっと忘れてた・・・






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マックの表にはパトカーが1台止まっていた。ツイている。
幸は警官が口を開くより早く話しかけた。時間が惜しい。

「車に乗せてください。後部座席、空いてますよね?」

「は!?」

35歳くらいに見える眼鏡の警察官は、取り押さえられたまま切り出した幸の言葉に眉をしかめた。

「中でパニックになってる女の子を保護して、パトカーに収容してください。今すぐに」

「何を・・・」

「特殊能力第7種、認定番号5番、斉藤幸。この人が掴んでる右手にIDがあります」

長袖はこういうときに不便だ。

反応の遅い警官に苛立ちながら、幸は声を荒げた。

「早く!」

大人しかった幸の怒鳴り声に、店員がビクリと手を緩める。
そのすきに抜け出した幸は、警官の目の前にバングルを一瞬かざし、店内に走り戻った。






______________________________



濡れている。

顔が、膝が、スカートが足にまとわりついてペッタリとはりつく。

嫌な匂い。

生ぬるい、生臭い、鉄っぽい、血の匂い。

血!

でも赤くない・・・このベッタリしたものは何?

気持悪い

気持悪い

 足が動かない



髪の毛?



「いや・・・っ!」



人が沢山集まってきて、でも誰も助けてくれない。誰か!誰かこれをなんとかして!



「いやぁ!」



怖い



サイレンの音・・・近づいて、止まって・・・誰かが腕を掴む。



無理矢理毛布でくるまれる・・・やめて!気持悪い!








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幸が石見の異変に気がついたその瞬間、夕刻のファーストフード店を悲鳴が貫いた。

今まで涙を流しながら自らの言葉で語っていた石見の目は、今、限界まで見開かれ、幸ではない何かを見つめている。

「石見さん!」

発作だ、一体何が・・・

幸は石見の視線をたどり、その先で、客のコートとマフラーが椅子から床に落ちているのを発見した。

石見の発作が起きる引き金、『地面に置かれた黒っぽい塊』だ。

「石見さん、大丈夫、あれはコートです!」

「いやぁ!!」

目を固く閉じ、頭を抱え込むようにしている石見。

きっと彼女の瞼の裏には恐ろしい『あの記憶』・・・飛び降り自殺の現場の様子が映っているに違いなかった。

「石見さん、怖くありません、大丈夫」

押し寄せる恐怖から逃れる方法は、彼女が現実を取り戻すことしかない。

幸は身を捩る石見を抱え込みながら、何度もゆっくりと言い聞かせた。

「大丈夫」

記憶に現実を乗っ取られ、石見は懸命にもがいているはずだった。

暴走する恐怖心を理性で押さえつけるのは並大抵のことではない。
幸にはその感覚が良くわかった。
なかなか醒めない悪夢は、水面が見えないほど深い海底に似ている。

冷たくて、暗くて、苦しくて・・・そして、最初から最後まで、完全無比な孤独。

石見が頭を左右に振っている。まとわり付く記憶を振り払うように。

幸はその仕草にゾッとした。



今ここで、【消す】べきなのか。



さっき、石見の話を聞きながら、幸はこの件を保留するよう申請しようとほぼ決めていた。

石見はもう少しでこの経験を乗り越えられるのではないかと思ったからだ。

自分が【消して】しまうにはあまりに



あまりに彼女の努力と苦しみが尊いと、そう感じた。



「どうしたんですか!」

石見を抱え込むようにしている幸に、後ろから店員が声をかける。

我に返った幸は、状況を説明しようとしたが、その前に店員2名に手を抑えこまれてしまった。

「あの・・・」

「ちょっと一緒に来てください。警察を呼んでます」

幸は店員の視線で全てを理解した。石見はどう見ても女子高生で、自分は職業不明の男。
女の子が悲鳴を上げたら勘違いされても仕方がない。

店員2人に引き剥がされながら石見に目をやると、彼女はまだ錯乱状態だった。
人が集まってきたことが彼女を刺激しているのだろう。
警察が来ているならむしろ保護してもらった方が早くおさまるかもしれなかった。





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自分が不安定なせいで、まわりの人間に気遣いされるのはとても苦しい。

「・・・大丈夫です」

いくら佑香が大丈夫だと言っても、本気で「あ、そう」と納得する人はまずいない。

「余計なことを聞いてすみませんでした・・・」

例に漏れず斉藤も佑香に謝った。

悪いのはあなたじゃないのにと佑香はそのたびに思い、でも自分が悪いとも決められず、結局行き場所がなくなってとにかくいたたまれなくなる。いつものパターンだ。

永遠にこんなこと、きっと続けられない。

だから、あの記憶から自由になりさえすれば・・・



「でも、・・・私は、『あの記憶』そのものよりも」

そのとき佑香は、医師にも言ったことがない気持ちを、突然斉藤に言いたくなった。

今言わなければ、きっとなくなってしまう。

『あの記憶』と一緒に、彼に【消されて】。

この気持も何もかも、つらいことは全部なくなってしまうことが自分の望みではあるけれど、それでも。



『それなら必要ないと思うか、それなら見てもいいと思うかはお任せします』

斉藤はさっき診断書を渡す前にそう佑香に言った。

そうだ。

どうせ消えるなら、言ってしまいたい。

ずっと誰にも言えなかった気持を。



「『記憶』そのものよりも、それで何で自分だけがこんなに苦しまなきゃならないのかって、そう思って・・・」

言葉にするとあまりにありきたりで、でもこれこそが自分の苦しみだ。

「友達や家族や、みんなは何で何も知らずに生きていけてるのに私だけ、って」

本当のことを吐き出すのは、息が詰まって苦しい。

目のまわりがじわりと熱くなってゆく。

「どうしてって・・・毎日毎日そう思うのが辛くて・・・自分が、すごく嫌な人間になってしまう気がして・・・私、これからどうなっちゃうのかって・・・それで」

知らなければ、あの現場を見さえしなければ。

違う生活を生きられたのに。

違う未来があったのに。

そう思うとたまらなかった。

自分の人生なのに。

「石見さん、大丈夫です」

涙でぐにゃぐにゃに歪んだ視界の向こうから、斉藤の声。

「・・・あなたはとても強い。大丈夫です」

手の甲で涙をぬぐうと、斉藤が佑香を見ていた。

その向こうに――

黒くて赤い塊。

ぐにゃりと地面に盛り上がる、あれは

何?

あれは



「あ・・・・いゃ、ああああぁぁぁッッ!!」



  

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「あなたはどう思いますか」

不思議な能力のことに気をとられていた佑香は、突然斉藤にそう尋ねられ、意味を汲み取ることができなかった。

「え?」

斉藤の顔は、今まで整然と説明していたときとは明らかに違っている。

出合ったときに感じた圧倒的な『何か』は姿をひそめ、普通の、少し困っている男の顔だ。

顔をそらせて、うつむいて。こうしてみると、彼は鼻筋がとても綺麗で、結構悪くない。

そんなことをぼんやりと思った佑香は、自分の発想に驚いた。あんなに会うのが面倒だったのに、もうそんな風に思えるなんてどうかしている。

「記憶を・・・消したいと思いますか」

横道に逸れていた佑香の思考は斉藤の言葉で戻された。

これは契約の最終確認のようなものなのだろうか?

「・・・先生が、それが一番いいって・・・」

「先生ではなくて、あなたです」

斉藤は穏やかに言う。しかし佑香は問いただされたように感じた。自分の症状を自分がどう思うかなんて考えたことはない。決めるのは医師だ。だって病気なんだから。

「私は・・・わかりません」

しかし斉藤は引き下がらなかった。

「わからなくていいんです。医者じゃないんだから。ただ、あなたがどう思ってるのかを教えてもらえませんか」

「それがわからないと【消せない】んですか・・・?」

何だか怖い。

決断を迫られるのは好きではない。

まして、こんな大事なこと・・・

「・・・僕が」

斉藤は言いかけて目をそらした。

「僕が、知っておきたいだけです。すみません、嫌な気分になったなら謝ります」

「嫌っていうか・・・」

佑香は、何故か斉藤がとても気の毒になった。

自分には想像することしかできない凄い能力を持っているのに、彼はちっとも幸せそうではないからだ。

もっと自信満々で、有無を言わせない、怖い存在だと思っていたのに。

「嫌っていうか、少し怖いです。あなたを信用していないわけじゃなくて、記憶が消えたらどうなるのか・・・それが、わからなくて」

斉藤は佑香の言葉に視線を戻した。

「でも・・・私は・・・『あの記憶』が・・・お化けみたいなあの記憶が」

斉藤が腰を浮かせた。佑香は自分の声が震えているのに気がついた。

「もう言わなくていい、思い出してはダメです」

ああ、また人を心配させてしまった。自分のせいで。







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「・・・つまり、斉藤さんはそうやって私の記憶を【探す】んですね」

「そうです。記憶には他に『いつ』とか『どこで』とかいう【タグ】も付いてます。結構間違ってることも多いんですけど」

「それは解る気がする!」

石見は身を乗り出した。
実際、人の記憶というのは驚くほど鮮明である一方、かなりいい加減な部分もある。
会った相手の洋服の柄まで覚えているのに、それが何年前のことかすっかり解らなくなるというのも良くあることだ。

幸の仕事で一番大変なのは記憶を【消す】ことそのものではなく、その記憶が今探しているものなのかそうでないのかを見分けることだ。

間違った記憶を【消して】しまっても、幸には戻すことが出来ない。

「そうやって探し出した記憶はたいてい、情報の塊を形成しているので、そこには【タイトル】が読み取れます」

「た、タイトル・・・?」

石見は怪訝な顔をした。記憶にタイトル。誰がそんなものをつけるのだろうか、という顔だ。

「例えです。僕に【見える】のは、なんというか、全体の『雰囲気』や『あらすじ』のようなものです。『これはこの人が母親とどこかへ出かけたときの楽しい記憶だな』とか、その程度のことを感じる」

「映像で?」

「色々です。怪我の記憶だと、すごくどこかが痛くなることもある」

「え・・・」

「勉強して覚えたことはとても整理されているので、文章として見えたりもします」

石見はホウと息をつくと、もうすっかりぬるくなってしまった紅茶を一口飲んだ。

幸の語った言葉を懸命に理解しようとしているようだ。

この少女はとても聡明で慎重な性格のように幸には思われ、決心したはずの気持が揺れるのを感じた。

些細なきっかけで事件のショックがフラッシュバックし、発作的にパニックを起す。確かに生活を根本から変えてしまうほどの重荷だ。
石見には何の責任もない、まさに『天から降ってきた』災厄。

なくなっても誰も困らない。確かにそうだ。しかし。



本当に【消して】しまってもいいのだろうか。

この少女なら、この苦しみを乗り越えることが出来るのではないか。

いつもの迷いが幸の中で渦巻き、胸を刺した。







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石見は丁寧に診断書をたたむと、少し考えてから幸に尋ねた。

「・・・あなたは私の頭の中が見えるんですか?」

「よく聞かれます」

幸が【消す】相手が一番気にするのがそのことだ。無理もない。
見もしないものを【消せる】とは誰も思わないだろう。

「僕が見るのは、記憶の【タイトル】とその【タグ】だけです。あなたの脳には沢山の記憶が詰まっている。全部を流し見て【消す】部分を探すとしたら、2倍速でサーチしても5年以上かかるでしょう。そんなことは出来ないし、僕の頭がおかしくなります」

石見は幸の顔を注意深く見ながら、うなずいた。

「あなたは『青』と聞いて何を思い浮かべますか?最初に」

幸は唐突にそう尋ねた。

「え?アオ?色ですか?」

「そうです、まず『色』ですね。他には?」

「・・・『海』」

「いいですね、もう1つ」

「・・・サッカーの、日本代表のユニフォーム」

「それは最高だな」

幸は思いもよらない答えに笑った。そういえば昨日は国際試合があった。

石見も少し表情が緩む。

「あなたは『アオ』という言葉に3つのものを連想した。記憶から引っ張り出してきたんですね。何でこの3つを選んだかわかりますか?」

「適当に・・・本当にパッと思いついて・・・」

「そう。理由は『出しやすかった』からです。カバンを開けて、最初に見えたものを取り出すように」

「なんで・・・」

「この場合、僕が言った『青』という言葉が【タグ】なんです。あなたの脳は、『青』という【タグ】のつけられた沢山の物や体験から、一番強烈で身近だったものを3つ選び出した。僕が急かしたからです。『じっくり、面白い答えを考えてください』と言ったらまた違うものを選んだでしょう。そういう意味で今回は【すぐに】というタグも有効になったんです。【青】【すぐに】この2つの命令にあなたはさっきの3つを返した」

「なんとなく・・・わかったような・・・?」

「実感がないことはなかなか飲み込めなくて当たり前です」

幸が記憶を【見る】感覚を、石見に伝えるのは至難の技だ。
目の見えない人に絵画を説明するくらいに。







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クリニックで幸に依頼書を兼ねた診断書を見せながら、坂島は少し眉をひそめていた。

本人がどう思っているか知らないが、彼女は案外思っていることが表情に出る。
クールに見えるのは顔の造りのせいで、中身はそうでもない。

「パニック障害?それだけ?」

「そうよ」



患者は石見佑香という高校生。

1年ほど前、石見の住んでいたマンションの屋上から男性が飛び降りた。

38歳のその男性は12階分落下した後、石見の目の前でアスファルトに叩きつけられ即死。

ほんの数歩の差で巻き添えを免れた石見はその場に崩れ落ち、病院へ運ばれた。

全身血だらけだった石見は洗ってみれば実は擦り傷の一つも負ってはいなかったのだが、その日から現在まで通常の生活を取り戻すまでには至っていない。



「・・・タフだな。さすが、子供でも女だ」

「女に向かって言うことじゃない」

「褒めてる」

「うそつけ!」

坂島は嫌そうな顔で幸を睨みつけた。

「だって、学校に行ってるんだろ?」

「最近ね」

「なら俺の出番はない」

幸は読み終わった診断書を坂島に付き返した。
国からライセンスを支給されている以上、幸に仕事を断る自由はない。
結局はやらねばならないのだが、坂島相手に少し不満をぶつけるくらいは許されるだろう。
実際、坂島は遠慮なく幸に不満をぶつけてくるのだし。

「・・・良くならないらしい」

「まだ事件からたったの1年だろ」

「このままじゃ進学できない」

「・・・」

そういうことか、と幸は息をついた。

「症状と事件の因果関係がハッキリしてるし、その飛び降り男は患者とは何の関係もなかったことがわかってる」

「『失くしても』問題ない、と」

「そう」

坂島は腰かけていた椅子から立ち上がると、小さな冷蔵庫から水のボトルを取り出して直接飲んだ。

手の甲で唇をぬぐう後姿。

真っ直ぐ伸びた長い髪をキリリとまとめた小さめの頭は、後ろから見ると幾分頼りなく、潔癖なムードを漂わせている。

「・・・明日、行ってきます」

幸は自らを納得させるように、何度か虚空に向かってうなずいてみせた。



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知らない大人に会うのは気が進まなかった。

怖い人だったら嫌だし、いい人だと何だか面倒だ。
佑香は、知らない人と話した後に残る「ざわざわした感じ」が好きではなかった。

妙にハイテンションになってしまった声や、言わなきゃよかった言葉などがぐるぐる頭を巡って、それが薄まってしまうまでずっと憂鬱な気分でいるはめになる。

しかもこれから会うのはとても特殊な人だ。

そういう能力を持った人がこの世にいると言うことは知っていても、実際に見たことも会ったこともないとなればそれはミュージシャンやプロアスリートと同じ。

ただ、なんというか「凄さ」の種類が違うだけで。

ちゃんと相手をしてもらえるのだろうか、いきなり怒られたり、あしらわれたりしないだろうか。

少し考えると次から次へと不安があふれ出てくる。

この、コントロールできない感じは、いつもの発作にそっくりだ。そう思うと心臓がどきどきと脈打ちだした。

どうして1人で来ちゃったんだろう。

どうしてこんなことになったんだろう。

どうしてあのとき――



止められなくなってしまった思考から呼び戻すように、テーブルに置いた携帯が光る。

「石見佑香さんですね?」

名前を呼ばれ、はじかれたように見上げた先には、トレイを持った若い男性の姿があった。

自分たちのような学生ではないが、いわゆる社会人でもなさそうな外見。
例えばスーツを着ていないとか、髪が頬にかかる長さだとか、声の出し方とか。

それに、若い。

思っていたような、怖い人ではないのかもしれない。

【法定特殊能力】という語感だけで警察官のような人物を想像していた佑香は少し戸惑う。

ただ、それでも、それが「彼」なのだということは、その目を見た瞬間に理解できた。

彼が店内の照明を背負っているせいで瞳の色もろくに見えないけれど。

ああ、特殊というのはこういうことかと、それだけで佑香はわかった気がした。

「・・・はい」




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